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名古屋高等裁判所金沢支部 昭和42年(う)63号 判決 1967年12月07日

被告人 河野民雄 外一名

主文

原判決を破棄する。

被告人河野民男、同吉田穣は何れも無罪。

理由

本件各控訴の趣意は、弁護人松谷栄太郎の控訴趣意書に記載されているとおりであるから、これを引用する。

一、控訴趣意第一について

所論は要するに、被告人等の原判示各所為は、何れも緊急避難、もしくは正当防衛に当り、違法性を阻却する、と言うのである。

そこで記録を調べ、原審及び当審において取調べた各証拠を検討、総合すると、次の事実を認めることができる。即ち、被告人河野は、昭和四一年五月一四日午前九時四〇分頃、福井市船橋新町地籍の九頭龍川堤防上において、小型四輪貨物自動車に被告人吉田及び吉田直移、宮本忠重を乗せて後退運転しながら中角橋南詰附近に近づいた時、進路前方の堤防上に小型四輪貨物自動車一台が駐車していて、その横を通り抜けることができなかつた為、警音器を二回嗚らしたが運転手の姿が見当らないので「オーイ、オーイ」と呼んだところ、暫くして堤防下の家から、その自動車の運転手山本雅一(本件被害者、以下単に被害者と略称)が出て来た。同人は生意気な呼び方をしたと言つて腹を立て、「オーイて何じや、おれを誰やと思つているのか」と言いながら近寄つて来、これに対してその時車を降りた被告人吉田は「お前何や、そんなこと言わんと自動車が邪魔になつて通れないのでどいてくれ」といつたのであるが、被害者は「生意気な、何をこきさらす、どづいてやる、全部降りて来い、半殺しにしてやる」と食つてかかつた。被告人吉田は止むなく「警察へ電話する」と言つて堤防を降りて行き、間もなく被害者も仲間を呼んで来ると言つて堤防を降り、福井市幾久町の自己経営の板金塗装工場に電話を掛け、応援に来るように連絡した。一方被告人吉田は、前記の如く、駐在所に知らせるべく一旦は電話を借りに出かけたが、色々考え自動車さえ除けてくれればよいのだと思つて電話をかけずに堤防上に戻つたところ、被害者も戻つて来て、「今電話したので福井から応援に来るから待て、来たら半殺しにしてやる」と怒号したが、その内提防下の家から出て来た被害者の妻の母が被害者をなだめたので同人は「頭に来た」と言つて自己の自動車に乗り県道福井芦原線福井に向つて走り去つた。次いで被告人等の自動車も福井市に向け右県道を南進し、同日午前一〇時頃福井市福万町加南ブルドーザ用地附近路上にさしかかつたところ、遙か前方に走り去つたので、その姿を見失つていた被害者の車が停止していて、同人は路上に立つて両手を拡げ被告人等の車に停止するよう合図し、被害者の車の傍には、同人の板金工場から応援に馳けつけた自動車が停車しており、その車内には二人の男が居て、その一人は被告人の車に同乗していた前記吉田忠重が、かねて弱い者いじめで喧嘩好きなチンピラとして知つている「キヨギ」という朝鮮人であった。被告人吉田は、被害者の応援の者も来ていることとて、車を止めれば先程のようなことでは済まない、車から降されて今度は半殺しにされてしまうような予感がしたので、「停つたら、うるさいぞ」と被告人河野に注意し、同被告人も同感だつたから、進路前方に立ち塞がる被害者の傍を時速五粁から一〇粁位に減速して通り過ぎようとしたところ、同人は「止れ、止れ」と言いながら近づいて来て、やにわに徐行中の被告人等の自動車の右側の二つの窓の間の窓枠に両手で抱きかかえるようにして、ぶら下り、「止れ、止れ、降りて来い、半殺しにしてやる」と怒嗚り続けた。然し被告人吉田は、このまま加速進行すれば被害者は、やがては路上に転落して負傷するかも知れないとは思つたけれども、同時に自己自身の危険を感じたので、被告人河野に「行け、行け」と言い、被告人河野も、このまま進行すれば被害者が転落するか、もしくは対向車に接触して負傷するのではないかと考え停車しようとも思つたが、被告人吉田が前記の如く「行け、行け」と言うし、被告人河野自身も停車すれば、どのような乱暴をされるかも知れないとの恐怖心に駆られたので、停車することなく、時速約三〇粁に加速して進行を続けた。被告人両名としては、被害者が「停めてくれ」と言えば、直ちに停車するつもりであつたが、同人は相変らず「止れ、止れ、半殺しにするぞ」と怒嗚り続けるので、そのまま進行したところ、約二六〇米南進した同市福万町伊山繩工場前附近路上において、被害者は遂に力尽きて手を窓枠から離して転落し、その結果同人は加療約六週間を要する頭部外海第ii型頸椎捻挫等の傷害を負つた。そこで被告人吉田は直ちに被告人河野に命じて、もよりの福井大学前の交番に赴き、右事件を警察官に申告したが、一方被害者は、前記の被害者の応援に駆けつけた両名が運転する自動車に乗って被告人等を追い、途中福井大学前で自転車をはね飛ばす交通事故を引き起しながら、右交番に駆けつけ、被告人吉田の胸倉を掴んで、「わしに怪我をさせた貴様等を半殺しにしてやる」と言つて、押問答となつた。結局右交番の警察官のとりなしで、福井警察署へ行つて話をつけることになり、被告人吉田はその足で同署の防犯課に出頭し、右経緯を説明したところ、係警察官は相手方の言分を聞いた上で、更に同被告人から事情を聴取する旨述べたので、同人は自己の名刺を右警察官に渡して帰宅した。ところが同日午後六時過頃、被害者は海戸力外一名を伴つて被告人吉田方に来り、「おやじおるか、この怪我どうしてくれるのや」と言い、右海戸は「この傷は二、三ケ月も入院せんならんから費用を出せ」と言う等、こもごも怒声を発して脅迫したので、同被告人は警察に電話で通知し、間もなく巡査が来て、結局被害者等は引揚げて行つたものである。

被害者の検察官に対する供述調書中には、被害者が被告人等の自動車にぶら下つた時、右自動車は時速五〇粁で四〇〇米進行した旨、被害者の司法警察員に対する供述調書中には、被害者が九頭龍川堤防を降りて、同人経営の板金工場に電話をかけたのは、「今、車のことで、もめているので少し遅くなるから」と連絡したのみで、応援に来てくれと頼んだのではない、又前記福万町加南ブルドーザ用地附近で被害者の工場からの自動車と出会つたので、右自動車に乗つていた荒井、永松の両名に「すんだから帰つてくれ」と言つている時、被告人等の車が近づいて来たので、止るよう合図をしたが、これは被告人等に九頭龍川堤防でのことについて謝まらせたいと思つたからである旨の各記載があるけれども、右は、前記認定の本件前後の被害者の言動、上坂進の検察官調書によれば、被害者は本件について原審において証人として召喚されたのであるが、当時同人は事業の失敗の為所在をくらましていた為、出頭せず、従つて右各調書は刑訴法三二一条一項二号、もしくは三号により取調べられたもので、公判における供述者に対する反対尋問に曝されていないものであること、及び原審証人山田治郎左ヱ門の供述によれば、被害者は昭和四一年五月一四日から同月三一日まで入院加療を要したにもかかわらず、同月二〇日無断で退院してしまい、以後全然来院せず入院費等も一銭も支払つていないこと等の諸事実を通じて窺われる同人の粗暴無頼な性行、及び前記加南ブルドーザ用地附近に同人の工場から二名の男が車で駆けつけている事実に鑑みると信用しがたく、他に前記認定に反する証拠はない。被害者は前記九頭龍川堤防下から電話で工場に応援を求め、前記ブルドーザ用地附近で右応援に駆けつけた者と共に被告人等を待ち受け、同人等に対して暴行、傷害等の危害を加える意図であつたと認められる。

従つて被害者が、前記認定の如く、右ブルドーザ用地附近で被告人等の車に停止を命じたことに対して、被告人等が身体の危険を感じたのは主観的にも当然であり、客観的にも十分根拠があつたのである。そして被告人等の車が、右停止の命令に応ぜず、時速五粁から一〇粁位で進行を続けたのに対し、被害者が、やにわに右車の窓枠に飛びついて「止れ、止れ、降りて来い、半殺しにしてやる」と怒鳴つたのは、被告人等に対する暴行に着手したものとみなされ、右行為は正に被告人等に対する急迫不正の侵害と言わなければならない。もし被告人等が被害者の要求通り停止するか、或いは時速五粁から一〇粁位の低速で進行を続けたならば、被害者及びその応援に駆けつけた二名の男の為に暴行、傷害を受けることは必定であつたと認められる。そして被告人等が右危害から自己を防衛する為に、その場から脱出すべく、その車を時速約三〇粁に加速したのは已むことを得ない行為であつて、右三〇粁の時速は、自己の安全を図り、同時に被害者に甚しい危害を与える可能性も少い妥当な速度と言うべく、然も被告人等は、被害者が「止めてくれ」と言えば、何時でも、停車するつもりであつたのであるが、被害者は最後まで、妥協せず、「止れ、止れ、降りて来い、半殺しにしてやる」と怒鳴り続けたのである。被害者が被告人等の車にぶら下つたまま進行した距離は、前記の如く約二六〇米であるが、その所要時間は時速三〇粁として約二四秒であつて、この程度の距離及び時間の経過では、なお被告人等が危害を加えられる恐怖感から解放されなかつたのも尤もであると考えられる。勿論被告人等の右行為によつて被害者が路上に転落負傷することがあり得ることは予想できるところであり、被告人等自身も、それを予想していたのであるが、前記認定の経緯に鑑みると、そのような事態が発生しても、それは被害者の急迫不正な侵害が自ら招いた結果であつて、いわば自業自得であり、已むを得ないところである。これを要するに被告人等の執つた右処置は正に正当防衛行為であり且つ、その程度を超えるものではない。原判決は、この点で事実を誤認し、且つ法令の解釈適用を誤つたものと言うべく、右違法は判決に影響を及ぼすことが明らかであるから論旨は理由がある。

そこで、その余の控訴趣意に対する判断を省略し、刑訴法三八〇条、三八二条、三九七条一項により原判決を破棄し、同法四〇〇条但書により当裁判所において更に判決する。

二、本件控訴事実の要旨は

「第一、被告人河野民男は昭和四一年五月一四日午前九時四〇分頃福井市舟橋新町地籍九頭龍川堤防において、山本雅一から脅迫されたが、一旦事態が納まつたので、自己の運転する小型四輪貨物自動車を運転し、同日午前一〇時頃福井市福万町二四加南ブルドーザ建設用地附近路上にさしかかつた際、右山本が、なおも進路に立ちふさがつて停車させようとしていたので、減速したところ、同人は、やにわに同被告人の車の右側窓枠にぶら下り執拗に停車させようとしたものであるが、このような場合自動車運転者としては速度を出して進行すれば右山本が車から転落して負傷することが予測できるのに、そのような結果の発生を意に介することなく、あえて時速約三〇粁に加速し、約二六〇米南進し、同町七の五、伊山繩工場前附近路上まで進行し、右山本を同所に転落させ、よつて同人に対し加療一八日間位を要する頭部外傷第ii型、頸椎捻挫等の傷害を負わせ

第二、被告人吉田穰は右日時場所において前記自動車に右山本が窓枠にぶら下つた際、そのまま加速進行すれば、同人が転落負傷することが予測できるのに、あえて被告人河野民男に対し、「行け、行け」と申向け、同人をして車を進行することを決意させ、以て同人の右第一記載の傷害を教唆した

ものである」

と言うのであるが、前記認定の如く、被告人等の右所為は正当防衛に当り、違法性を阻却し、罪とならないものであるから、刑訴法三三六条により被告人両名に対して無罪を言渡すこととして、主文の通り判決する。

(裁判官 小山市次 斎藤寿 河合長志)

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